CO.HACHIOJI元気な企業インタビュー

第51回 (株)齋藤機工

高品質・低コスト・短納期の三位一体に勝算あり!

取材先 (株)齋藤機工(代表取締役 内山 秀之)

 

※取材内容は前社長の齋藤 義祐氏の取材となります

 

所在地 八王子市川町722-1

電話 042-651-1031

HP saito-kiko.co.jp/

 

 
 

中国を始めとする東アジア諸国の台頭により、「日本の『ものづくり』の危機」と言われて久しい。そんな昨今、日本の町工場が生き残る道を探すことは困難を極め、言わば町工場にとっての「永遠の課題」だ。

 ところが、八王子の川町にある(株)齋藤機工に行くと、その課題対する回答を随所に見ることができるのだ。社長の齋藤 義祐(さいとう よしすけ)さんは永年の経験と巧みの技術から独自の「道」を見出し、大手企業から直接の注文をどんどん捌く。今回はその齋藤社長を伺い、「永遠の課題」に対する回答を伺った。

 

 

大手と直接取り引きを行う町工場

齋藤機工が得意とするのは金属部品の加工。それも単なる加工ではなく超精密機器の一部分、例えば生産ロボットの指先部分やデジタルカメラのシャッター、顕微鏡・内視鏡のレンズマウント等、高い精度が要求される加工を完璧に仕上げることができる。この技術力には大手企業も一目置いており、齋藤機工は沖電気やオリンパス等並み居る大手企業の研究開発部門から直接仕事を受注している。
 

精密機器の一部分を扱う一方で、齋藤機工は生産設備の開発も行う。特に大手印刷会社向けに開発した印刷関連生産設備では、例えば糊付け装置の乾燥部分に高価な温風乾燥機ではなくヘアドライヤーを採用する等齋藤社長の柔軟なアイデアを随所に盛り込まれており、発注先からはかなり高い評価を得ることができた。

 

齋藤機工は昭和49年に日野市から八王子の川町に移転した。当時あたり一帯は林で覆われていたとか。

 
 
 

 

『技術とアイデア』が顧客を得る

技術面で顧客の信頼を得るために、齋藤機工は設備投資にお金を惜しまない。

加工から開発まで様々な分野に関わっている齋藤機工だが、一貫していることは「誰でもできることはやらない」ことだ。誰でもできることは技術で差別化できないため、いずれはコスト競争に陥る。そうなると大きな企業の体力には絶対勝てず、町工場はいずれ淘汰されるからだ。一方で「誰にでもできないことをやり続ける」ことは決して簡単なことではなく、素人目で見てもかなりシンドイに違いない。  齋藤社長はそれを実践するために、「技術とアイデア」に徹底して力点を置いてきた。「客先の信用を得るためには要求される精度を完遂し、またよりよいものにするために知恵を絞り続けるしかない」と齋藤社長は言う。そしてそれを実践するために、齋藤社長は工作機械等の設備にはかなり気を使っており、どんなに高価な工作機械も必要であれば迷わず購入する。「お陰で社屋には全く金をかけることができません」と斎藤社長は笑顔で言うが、その目には全く迷いが無く、自信に溢れている。
 

 

 

『天賦の才』と『先見性』が躍進の原点

そもそも齋藤社長は「ものづくり」が大好きな根っからの職人。高校へは入学したが、職人だった父親に感化されて居ても立ってもいられず、昭和29年に早々と中退。そして、JUKIの下請けをしていたプレス工場に就職をしたのだ。そこで技術をどんどん吸収していった齋藤社長は、その6年後には早くも技術力が認められて会社の「開発部隊」に参画するようになり、ホンダのバイクチェーンを製造するための金型などを開発していたそうだ。齋藤社長には職人としての天賦の才があったのだ。その後齋藤社長は「自分で事業を起こしたい」と独立に踏み切り、昭和46年に34歳の若さで齋藤機工を創業。勤めていた時の仕事関係や人脈によって少ないながらも得ることができたホンダ、コニカ、トッパンフォームズ等の注文を「技術とアイデア」で確実にモノにしていき、徐々に大手企業からの信用を勝ち得ていったそうだ。
 

そして、昨今の齋藤機工は新たな分野にも進出をする。同社の近隣にあり齋藤社長が社長を勤めている (株)レイナードは、相模原の某企業から部門ごとスピンアウトした技術営業部長の吉田 豊(よしだ ゆたか)さんが平成2年に齋藤社長と立ち上げた齋藤機工の関連会社だ。レイナードは半導体レーザーダイオード検査評価装置や光ディスクのピックアップ機等の設計・組立を行っており、メカ加工を中心とする齋藤機工とは特長を全く異にしている。ところが齋藤社長は「レイナードの分野には将来性があり、さらに設計・組立が得意なレイナードと加工が得意な齋藤機工は“Win-Win”の関係になれる」と判断し、立ち上げが実現したのだ。そして、レイナードは今やソニーやシャープと直接取り引きを行えるような、その業界ではかなりの実力を備えた企業に成長。齋藤社長の先見性の賜物で、齋藤機工は新たな柱を得ることができたのだった。

 

齋藤機工のすぐそばにある(株)レイナード。齋藤機工とは絶妙のコンビネーションで相乗効果を図る。

レイナード技術営業部長の吉田さん。スピンアウト後に齋藤社長と知り合い、レイナードを立上げた。

 
 

 

『三位一体』が次ぎの時代へ導く

製造現場で職人技を披露する齋藤社長。忙しい中、丁寧に対応して頂いた。

「 かつてはちょっとしたアイデアが仕事につながったが、今は機器がどんどん複雑化しており、思いつき程度ではなかなか立ち行かなくなってきている」と齋藤社長。変化に対応しながら確固たる地位を築いてきた齋藤機工に対し、時代は新たな難題を課す。そんな折、齋藤社長が徹底している生き残りのための手法が「高品質・低コスト・短納期の確立」だ。品質を守るために技術力を磨き続け、コストを削減できるように常にアイデアをめぐらせ、例え翌日の納期でも迷わず受けていく・・・・ 少々難しかろうが、顧客から与えられた公差内で必ず仕上げる意気込みを常にもち続けていくのである。「基本的なことかもしれないが、今はこれらが三位一体になってこそ初めて顧客の信用を勝ち取ることができる」と齋藤社長は力説する。
 
 職人の巧みな技術と時代に対応する柔軟性を備える齋藤機工。日本の中小企業のためにもこの会社が今後も発展していくことを期待して止まない。
 

 
編集後記
 
齋藤機工はいかにも“町工場”という雰囲気で、斎藤社長をはじめとする社員の方々も生粋の“職人”という印象である。こう書くと一世代前にあった旧態依然としたイメージを思い浮かべてしまう。ところがこの“町工場”にも“職人”にも少しも廃れたところはなく、それどころか今あるものを最大限に活かしながら次ぎの時代を見据える“攻め”の姿勢を感じることができるのだ。その一例として挙げられるのは、齋藤機工が加工をしている電子顕微鏡の光を集束する部品。これだけ研磨機の機械化が進んでいる昨今だが、仕上げは人の手によって金属が研磨され、人の顔が映るほどピカピカに磨かれる。機械で行うと他社と同じことしができない加工が、この類稀な“職人技”により品質が高まり、明らかな差別化が図られるのだ。近代化を進めつつも“職人技”も武器として活用する齋藤機工の“攻め”る一面である。
 
 余談だが、斎藤社長はかつて齋藤機工の技術力に惚れこんだある大手企業から「専属下請けにならないか」との誘いを受けたことがあったそうだ。それも広い土地の提供も提示されるほどの高待遇。ところが、齋藤社長は「1社の下請けではリスクが大きい」と判断してその美味しい話をお断りしたとのことだ。かつての景気の良い時に1社依存でかなり美味しい思いをした下請け企業は、不景気の今になって仕事が激減し軒並みに苦しんでいる。あの時に誘いを受けていれば、今の齋藤機工はひょっとすると無くなっていたかも知れない・・・・ 斎藤社長がいかに“先見の明”を備えていたかということだ。
 
(取材日2003年9月6日)