CO.HACHIOJI元気な企業インタビュー

第67回 (株)東亜理化学研究所

ベンチャー精神で、常に新たな光学技術に挑戦!

取材先 (株)東亜理化学研究所(取締役会長 堀 将晴)

所在地 八王子市小宮町1180

電話 042-644-1415

e-mail center@toa-rika.co.jp

URL www.toa-rika.co.jp/

取締役会長 富本 岩夫さん

 今や、私たちの身の回りには様々な場所で光学技術が使われている。カメラは、フィルムカメラからデジタルカメラへと主流が移り変わって久しいが、このデジタルカメラもCCDという撮像素子が光をキャッチし、メモリへと画像を蓄積するものだ。また、VTRから取って代わったDVDも光ディスクの一種であり、データを読み込む装置(光ピックアップ)は、レーザー光を反射させデータを読み込む仕組みである。このように、技術の進歩とともに、光学機器はデジタル化が進み、機器はよりコンパクトに、データはメモリや光ディスクに保存されるなど変遷してきた。この変化の激しい光学技術分野にあって40年もの間、常に新技術を取り込み、光学ユニットメーカーとして時代をリードしてきた企業、それが株式会社東亜理化学研究所である。今回、(株)東亜理化学研究所取締役会長の富本岩夫(とみもと いわお)さんと、取締役社長の堀将晴(ほり まさはる)さんに光学産業に懸ける想いを語っていただいた。

 

 

長年培った光学技術で、多様な顧客ニーズに対応!

 東亜理化学研究所は、ガラスレンズやプリズムといった光学部品の加工、薄膜の真空蒸着、フォトエッチング、そして光学ユニットの一貫製造など光学関連の部品や装置開発に幅広く対応している。ファインダーユニットメーカーとして長年培ってきた光学技術と飽くなき探求で身に付けてきた新技術との融合により、多様な顧客ニーズに対応していることが強みである。堀さんは、「当社は、技術力もさることながら、“光学技術の便利屋”であることが差別化のポイント」と語る。確かに極めて高い精度が求められる光学部品加工や、1μmの線幅を実現する精密フォトエッチングなど技術力の強みを挙げれば、枚挙にいとまがないほどである。しかし、この“便利屋”たる所以は、クライアントとの間で築かれた信頼関係にある。「私たちは、営業する場合でも購買担当ではなく、直接技術者とやり取りしています。」と堀さん。この“技術者との距離感”が大切なのだ。直接技術的な課題を掴むことが出来るからこそ、キメ細かな提案が出来るという訳である。
 東亜理化学研究所は、光学部品を初め光学関連の様々なニーズに対応する。
 

 

趣味が高じてビジネスに! ~東亜理化学研究所誕生秘話~

 光学部品の性能評価の様子。  東亜理化学研究所の興りは、1960年に遡る。意外にも創業者である富本会長は、元々大学は法学部を卒業し、弁護士を目指そうと考えていた。しかし、弁護士は自分には向かないなと感じていた富本さんは、趣味としていたカメラに関連したビジネスを起こそうと考えるようになった。趣味とはいえ、研究熱心な富本さんは、専門書を片手に独学でカメラのメカニズムや光学知識について造詣を深めていったのである。
 結果、三鷹市で仲間2人とともに、空き部屋を借りて事業をスタートすることとなった。カメラ部品の中でもファインダーにフォーカスしたビジネス展開で、業績はめきめきと上向き、ワンルームからスタートした会社も、世田谷の一軒家に移り、さらにはクライアントからの要請もあり、八王子、日野、三鷹に工場を新設するほどになった。
「当時は、ファインダー部品のシェア約90%を誇るほどだった。」と、当時を振り返る富本さん。カメラが、モノクロからカラーへと転換していく中、ファインダーも単なる部品から、様々な情報を載せた“ユニット”へと変遷していった。この技術革新の流れに乗り、国内ファインダーメーカーとして確固たる地位を確立することとなる。まさに順風満帆の会社経営であった。

 

 

次の30年を見据えるために ~第2創業の決断~

 富本さんのリーダーシップで、順調に舵取りをしてきた東亜理化学研究所も、1985年大きな転機が訪れる。プラザ合意により、一気に円高が進むこととなった。結果招いたものは、日本のカメラメーカーの製造ラインの海外移転だったのである。それまで、的確な判断で、会社を舵取りしていた富本さんも、ビジネスを取り巻く環境の急速な変化への対応が遅れ、苦難の道を歩むこととなってしまったのである。
     東亜理化学研究所は、若い社員が多く、チャレンジ精神が旺盛だ。
 量産モノを中心に仕事が激減し、結果、一つまた一つと工場閉鎖に追い込まれていくこととなる。この時、富本さんの頭をよぎったのは「企業30年説」であった。「人間に寿命があるように、企業にも寿命がある。そのサイクルが30年と言われている。自分の会社も気付いたら40年経過していた。そろそろ、“次の30年を見据える”会社に変革しなければならない。」と考えた富本さん。2000年、お世話になった取引先や金融機関の方々を招待し、「東亜元年決起パーティー」を開催した。そこで、富本さんは自らの一大決意を表明することとなる。「21世紀の新たな光学系技術会社としてベンチャー精神を持って日本でのものづくりを目指す」ことを打ち出し、その2年後、当時30歳の堀社長が誕生したのである。

「光学分野では、従来の可視光の世界から、赤外線、紫外線、さらにテラヘルツ波へと広がっている。新たな技術に対応するためには、若い感性が必要。」と、当時の想いを語る富本さん。こうして堀さんの下、イノベーション・カンパニーとして、21世紀の東亜理化学研究所がスタートしたのである。

 

光学技術の進化とともに

 東亜理化学研究所では、光学技術とメカトロ技術を融合させOAS事業を展開

光デバイス関連治具などの設計・開発・製造

を一貫して行うことも出来る。

 富本さん曰く「知的好奇心、創造力があり、アイデアが次々と生まれてくる。」という堀さんであるが、そのフットワークの良さと提案力で、大手光学機器メーカーを初め次々とクライアントを開拓している。今や、取引先は約100社を超えるほど。「当社は、基本的には量産よりも試作品開発にウェイトを置いていますが、経営の安定化を図るため、一部量産品も手掛けています。」と、堀さん。しかし、量産、試作品のどちらに偏ることなく、バランスを大切にしているという。「社内に万全の検査体制を整えており、量産といっても全数検査出来るレベルの仕事を受けている。」とのことだ。

東亜理化学研究所の特徴を表す事業として、OAS(Optical Alignment System)がある。これは、光学技術とメカトロ技術を融合させ、クライアントの悩みに応じて光デバイス関連の治工具や調整装置の設計、開発、製造まで請負うというもの。堀さんは、「光学特性をしっかりと抑えておけば、提案はいくらでもできるんです。当社は、基本的にノウハウをウリに事業を展開する会社だと考えています。」と経営方針を語ってくれた。

 光学技術は、今後医療機器、照明機器、表示機器(ディスプレイ)など、様々な分野に応用されていく。また次々と新技術・新素材が生まれる分野でもある。堀さんは、「既存技術、ノウハウを大切にしながらも、新たな技術にチャレンジして行きたい。」と抱負を語った。

ベンチャー精神を持つ若手社長の下で新たなスタートを切った、東亜理化学研究所の今後に期待したい。

 
編集後記
(株)東亜理化学研究所を訪問して、思ったことは非常に若々しい会社だということ。何よりも堀社長のキャラクターは、明るく会社のイメージを作っているように感じた。夜遅くまで若い社員と試行錯誤しながら、ものづくりをしているという。「時には夜食の買出し担当を決めるのに、ジャンケンをして、僕が行くこともあるんですよ。」と、社長でありながらも気さくな堀さんが良い雰囲気を作り出しているのかもしれない。
 一方、富本会長も自ら光学分野の最新動向の調査に余念がない。自らの人脈を通じて得た情報を、若手経営陣にフィードバックし、経営戦略の一助としている。このように、経験豊富な人材と若手が互いの強みを出し合って融合していることが、東亜理化学研究所の強みなのだろう。
(取材日2006年7月25日)