(株)クレア バックナンバー

『 八王子発!“カフェから蕎麦まで”のお洒落な飲食店グループ』

取材先(株)クレア(代表取締役社長 町田典子氏)

所在地 八王子市旭町10-2 TCビル8F

電話 042-643-1110

URL  www.clea.co.jp/

 
  代表取締役社長 町田典子さん
    昭和58年11月、八王子駅ビル「そごう」のオープンと同時に、全面ガラス張りの瀟洒な喫茶店が1階路面店としてオープンした。歩行者からも店内が見渡せる“オープンカフェ風”の開放的な店構えは、従来の喫茶店のイメージを一新し、多くの学生や外国人の支持を受け、行列のできる店として一躍評判となる。それから28年、関東を中心に直営70店舗の飲食店グループを形成するに至る「クレアグループ」の誕生である。 今回は八王子を拠点としてカフェ、レストラン、パスタ、和食、そばなど、幅広い業態の飲食業を展開する(株)クレアの町田典子社長を訪問し、これまでの経営と今後の事業展開について話を伺った。

ガラス張りのカフェ

「松坂屋出身の私はファッションのお店を開きたかったのですが、諸般の事情もありカフェの出店となりました。

 当時は国鉄の時代、八王子もまだ保守的で、取引銀行からも『ガラス張りの喫茶店』には大変な抵抗がありました。その数年前、ドトールコーヒーの鳥羽会長とヨーロッパのカフェを視察する機会がありまして、新しいスタイルのカフェは今後日本でも評価されると確信を持っていました。女性の感性と視点でやってみたかったのです。

 オープンしてみると、予想以上の反響で売り上げ見込みを大きく上回るものでした。今振り返ると、ファッションではなく喫茶店でスタートしたことは結果的に良かったと思っています」

 『カフェ・ド・クレア』1号店オープン時の様子を町田社長はこう語る。鳥羽会長とは今でも交流があり、新しい食文化について語り合う機会も多いそうだ。「先輩の皆さん、知人・友人、多くの方からの支援、叱咤激励がなければ、今の自分はここにはいません」

「人との繋がり」をとても大切にしている町田社長。「その時の出逢いが人生を根底から変えることがある(相田みつを)、多くの出会いに感謝です」

 自然と人をその世界に引き込んでいく、明るく屈託のない話し方もさることながら、「経営者」としての揺るぎない信念、強さのようなものがちらりと覗く。

   クレア発祥の地八王子そごう
   東急スクエア『スカイラウンジ』
 

起業家・町田典子の原点

 引揚者に贈られる感謝状。送り主には小泉元総理の名前  終戦を迎えたのは満州国吉林、移動する汽車の中だった。まだ9歳の頃だ。命がけで脱出した当時の記憶を5年前、「遥かなる満州」という著書にしたためた。また、戦争の記憶を持つ漫画家、作家の有志を中心として結成された「私の八月十五日の会」のメンバーにも名を連ねる。将来は、自らが生きた「証し」として、当時の貴重な資料を風化させぬようミュージアムを作ることが夢だそうだ。「あの当時の辛さ、苦しさを思えば、どんな困難も乗り越えられる」満州の記憶は、町田社長の原点でもある。 学校を卒業後、銀座「松坂屋」に就職。当時「百貨店」と言えば女性の花形職業である。しかし表向きの華やかさとは違い、配属された職場は経理部統計係であった。地味な仕事ではあるがミスは許されない厳しいものだった。同期入社は50名程であったが、1年後には3割近い人が辞めていた。元来「負けず嫌い」の町田社長はここで気持を切り替える。「今、自分に与えられている舞台は常に“ベスト”だと思うこと」「いやいや」働くのと、「何でも学ぼう」と思って働くのとでは「成果」が変わる。人の嫌がる仕事を率先して行った。手が足りない部署や店舗の応援など積極的にかって出た。

 

著名な作家たちが名を連ねる「私の八月一五日の会」

 従って、上司からはとても可愛がられた。当時課長であった上司は、その後10年にも渡り「クレア」の屋台骨を支える総務部長として活躍することとなった。

 その後はアパレル大手の(株)サンマールにて店舗経営のキャリアを積む。

「書籍と家具以外は全て携わった」と町田社長。その経験を基に、昭和58年、(株)クレアを設立し代表取締役に就任、現在パート・アルバイト含め900名近い従業員を雇用するまでになった。

  

空きテナントの“再生”

「よく『立地のいい場所で商売できて羨ましいですね』と言われますが、自分たちで選んで出店した店ばかりではないんですよ」

 不景気の波を最初に受け、好況の恩恵を受けるのも最後と言われる「外食産業」。バブル崩壊後の不況下にあって、テナントとして入居する飲食店は、厳しい競争の中で撤退する店舗も多い。とはいえ、デベロッパーとしてはいつまでも「空き店舗」にしておくわけにはいかない。そこでクレアに白羽の矢が立つことになる。

「最初から厳しい船出になることが予想される店舗もあります。ただ、当社に声をかけていただけるデベロッパーさんの期待に何とか応えたいという一心で、がむしゃらに頑張っているだけなんです」

 『お客様』に支持される店作りをするためにはどうすればいいのか、スタッフと共に知恵を絞る。そこには男性の目線では見落としがちなきめ細やかさ、お客への気配り、センス、洗練された感性など、女性経営者ならではの視点を総結集する。他が投げ出した店の「後継テナント」として出店している店舗は、クレアグループ全体の約1/3にものぼる。その実績が再びデベロッパーへの信頼を生み、好立地な場所への出店を有利に進めることができる、という好循環を生み出している。

 現在のクレアグループとしての大きな飛躍のきっかけは9年前に遡る。それまで「カフェ」だけにこだわり続けてきた当社が「和食部門」を持つことになったのだ。

「知人から『会社を譲りたい』という話がありました。この時も金融機関からは反対されました。一業種でも大変なのに他の分野に手を出すのはどうなのかと貴重なアドバイスもいただきましたが、結局この会社をM&Aすることになり、90名いた従業員全て引き受けてスタートを切ったのです。しかしスタッフのモチベーションは低下していました」

業態によって様々な店舗ブランドを展開中

石原裕次郎ファンの集う店で有名な赤坂「Yu’s Bar(ユーズバー)」八王子駅前に2号店をオープン
 
 町田社長の経営方針についていけない従業員は次々と会社を離れ、最後は数名しか残らなかった。しかし、徹底した「顧客目線」でのスタッフの意識改革、店舗改装によりブランドイメージを向上させ、以来、和食、そばをきっかけに、ステーキ、パスタ、ギャラリーバーと領域を広げながら、着実に来店客数を伸ばした。「結果的にはリスク分散になり良かったと思っています。一業種だけでは、その業界が躓いた時、カバーできませんから」
 ビジネスで成功した体験者の話を聞いていると、“運に恵まれた”という話はよく聞くところだが、“運”を引き寄せる力も経営者の才覚の一つ。それは決して「偶然」の産物ではなく、「人との出会い、感謝の大切さ」をモットーとして、地道に信頼関係を築き上げている町田社長だからこそもたらされる「必然」だったのではないだろうか。

 

「厳しさ」と「細やかさ」

 店舗の一つ『越後そば』で使われている「そば」は八王子の石川工業団地内にある「自社工場」で製造している。今後の事業展開としては、ヘルシーな食材として見直されている「そば」、特にリーズナブルで簡単に食せる“立ち食いそば”のFC展開を検討中とのことだ。更に12月には、八王子駅南口「サザンスカイタワー」にカフェとそば酒房「凛や」がオープン予定であり、常に業態開発を行うバイタリティとチャレンジ精神はまだまだ健在だ。 これだけのスタッフを抱えるとそのオペレーションも苦労が多いことだろう。社員のモチベーションをどうやって維持しているのか
「女性だけで会社を」という思いがあったが
今では男性スタッフも積極的に登用している  

 

「『今の若い人は』と年配者は言うけれど、年配者でも駄目な人はたくさんいる。『若い』から良くて『年配』だから駄目、ということでもない。その年代年代のいいところを捉え、どう仕事に活かしていくか。

 若いスタッフには若いスタッフなりのビジョン、考え方があります。経営者の責務として、それをしっかりと吸い上げていきたい。勤続年数とか学歴などはあまり関係ありません。私たちは『会社』から給料をもらっているのではなく、『お客様』にいただいているのだ、ということを常に意識してそれぞれの業務にあたってほしいですね」と町田社長。

 事業承継についても視野に入れているそうだが、「経営者としての覚悟が本当に出来ているのかをしっかりと見極めたい。スタッフからも信頼されないと事業承継はうまくいかない」と後継候補者にも厳しい注文を課す。経営者としての厳しさ、そして女性ならではのきめ細やかな心遣い両方を兼ね備えた、とても魅力的な町田社長であった。

    

編集後記

 町田社長は八王子の産業活性化にも熱心に取り組む。八王子商工会議所の「まちづくり」に関する委員会に歯に衣着せぬ“辛口なご意見番”として出席、また同会議所内「女性経営者の会」ではリーダーを務めている。更に企業の信用情報を提供している「帝国データバンク」からの依頼で、今年1月からは情報誌の巻頭を飾る連載記事を執筆しており活動の幅が広がっている。 

 中小企業にとって先の見えない暗いニュースばかりが飛び交う昨今、町田社長と話をしているとまるで目の前には無限大の明るい未来が広がっているような不思議なパワーをいただける。 

 

(取材日2010年9月29日)