CO.HACHIOJI元気な企業インタビュー
第104回 ㈲ユー・エスエンジニアリング
『不屈の精神~融雪設備からオタク文化参入そして牽引へ~』
取材先 有限会社ユー・エスエンジニアリング(代表取締役 門脇 輝彦 氏)
所在地 東京都八王子市兵衛1-10-22
電話 042-632-0245
URL www.usek.net/
日本のアニメやゲーム、アイドル等いわゆる“オタク文化”が世界的なブームになってから久しく、その勢いはとどまることを知らない。「オタク文化は限られた人の嗜好」という時代はとうに過ぎ、もはや日本を代表する文化であることは周知の事実であろう。キャラクターやアイドルが幅広い層に支持されるにつれ、それらをモチーフにした関連グッズ市場も益々盛り上がりを見せている。
八王子にはアクリル製品加工技術を駆使してキーホルダー等のアクリル製キャラクターグッズを量産している会社がある。兵衛に本社工場を構える㈲ユー・エスエンジニアリングだ。1998年に創業された同社は、路面の積雪や凍結を防ぐロードヒーティングなどの融雪設備工事会社として設立。社名の由来も「融雪設備」から来ているそうだ。
融雪設備工事会社がどのようにしてキャラクターグッズの製造会社に変貌を遂げたのか。同社2代目の門脇輝彦(かどわき てるひこ)代表取締役に会社の変遷や今後の展望についてお話しを伺った。
外での修業期間とM&A
電線メーカー出身である門脇氏のご尊父(門脇彦二郎氏)が創業された融雪設備工事会社㈲ユー・エスエンジニアリング。電気を使った融雪工事の営業を手掛けていたが、創業から程なくして、他の融雪方式の台頭や地球温暖化による施工機会の減少により、電気による融雪工事が縮小傾向になったという。
一方で、門脇氏は大学で経営情報学部を専攻した後にアルミ鋳物製造業に入社し、生産管理部門と営業部門に従事。30歳になったことを機に節目として就職先を探し始めていたところ、創業3年目を迎えた㈲ユー・エスエンジニアリング社長であった父から入社を勧められた。
「当時は父1人だけの会社で仕事の範疇が限られていたのですが、事業の幅を広げるべく必要な人員として入社を勧められました。父が経営者であるものの会社の実態が分からず不安もありましたが、深く考えずに“一先ず35歳まではやってみよう。失敗してもその年齢なら人生取返しがつく”と入社しました」。
すると「まずは外で修業してこい」と父知人の電気工事会社の現場へ出向。六本木ヒルズや森ビル等、都心の大規模施設の現場をいきなり担当することになったのだが、下っ端として清掃や重い工材を運ぶなどの役割ばかり担い、大変厳しい環境であったと当時を振り返る。
「知識も経験も無いのでどうすれば良いのか全く分かりませんでした。他の職人はベテランもいますが血気盛んな10代や20代前半が多かったです。当時私は30歳だったのですが、年下から“何もわからないオッサン扱い”をされたり『門脇ちゃん』と呼ばれたりと中々な扱いを受けていました(笑)私は郷に従う性格だったので現場には馴染んでいたと思いますが、内心は悔しかったです」。
厳しい現場を過ごしながら知識やスキルを身に着けるべく資格取得に勤しんだ。当時取得された資格を伺うと、電気工事士1種2種・1級土木施工管理技士・2級建設業経理士・消防設備士etc…圧巻の数であった。
「経験とスキル、何より自信が身に付き自分でもどんどんステップを駆け上がっている実感がありました。入社5年後には現場監督として指揮を執る側になっていました。遮二無二仕事した30歳代前半は特にあっという間の時間でした」。
一方で会社は転機を迎える。取引先であったケーブル見本や共架札(電柱に掛けられる銘板)を製造する会社が廃業するにあたり、ユー・エスエンジニアリングに事業譲渡することとなったのである。先方従業員3名と取引先、設備等の経営資源を同社が引き継いだ。
「新たに加わった従業員3名は経営者が変わったことで戸惑いもあったと思います。実際に1名は反発して2年程度で辞めてしまいましたが、残りの2名は年配者ですが長く勤めていただきそのうち1名は今でも若手に技術を教えてくれています」。
一筋縄ではいかなかったが、この事業継承が会社の流れを大きく変えた。ケーブル見本製造は展示会や営業サンプルとして顧客から好評を博し、特に勢いがあったのが共架札製造。光ファイバーが住宅に普及しだし、各地で大規模な電柱工事が行われていたことが追い風になった。
「大手電力会社からの推奨もあり、工事済の電柱1本1本に必ず新たな共架札を付けることが必須となり共架札受注が急速に増えました。フル稼働の日々が続き正月も休まず営業していました」。
そんな折、突然会社の危機が襲った。2011年の東日本大震災である。
主力事業を畳み新事業展開へ
東日本大震災を機に大手電力会社の事情も変わり共架札の受注が減少。新たな事業柱を立ち上げる必要性を強く感じた当時社長は、既存技術を活用した新事業展開を模索。そこで行きついたのがアクリル製キーホルダーの量産だった。
「ケーブル見本で駆使する輪切り技術はキーホルダーを模る技術と似ていますし、共架札でもアクリルを扱っていたのである程度アクリル製キーホルダー製作のノウハウは持っていました。早速UVプリンターを導入して、社長の地元にある世界遺産をモチーフにしたキーホルダーを製造販売しました。しかし数あるお土産品から消費者に選んでもらうことは難しく、反響は小さかったです」。
キーホルダーの仕事が無い状態が半年程続いてしまったが、突然大きな転機が訪れた。縁あってキャラクターグッズ製造業者の代理店と繋がり、某大人気アニメのキャラクターキーホルダーの製造を依頼されたのである。商品はイベントや物販店で大ヒット。反響は大きく様々な注文を受けるようになり一気に工場はフル稼働状態に。
さぞかし当時から現場は沢山の人が作業されていたのかと思っていたが、話を聞くとその頃キーホルダー製造に携わっていたのは工場長1人だったとのこと。当時の門脇氏は都心大学の常駐現場監督をしていた。
工場長が毎日1人で深夜までキーホルダー業務をしていた時期が続き、社長から「今の状態が続いたら工場長が倒れてしまう。工場の方に入ってくれないか」と打診が。
「父の体調が優れていなかった事情もあり、電気工事事業を畳み私も工場に入ることになりました。仕事量が安定していた事業を畳み、新事業の方に注力する決断をしたことは相当な覚悟だったと思います」。
キーホルダー製作の現場に入ると、確かに現場には切迫感があった。当時は約10,000個/日のキーホルダー製造をしていたそうで、今の体制なら問題ない量であるが、当時の設備環境としては天文学的数字だったと振り返る。
「初めの2年は工場長と2人で毎日夜遅くまでの作業で徹夜も当たり前でした。私はその状況を打破しようと前職で生産管理をやっていた経験を活かし、量産性を追求した新しい製造システムを工場長に提案していました。しかし工場長にも自身のやり方やプライドがあったのでしょう。反論は無かったのですが中々聞き入れてもらえませんでした」。
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そんな中でも共に身を粉にして働きながら信頼を構築してきた門脇氏と工場長。今では関係性は良好で工場長に全幅の信頼を寄せている。
事業承継後の不安と乗り越えた自信
工場に戻った2011年から徐々に会社経営にも携わり、社長からも色々任せてもらえるようになる。実質経営者としての自覚が芽生えるようになったのはその時期からだという。
「ただ、社長とは事業承継について話はしてこなかったです。父が立ち上げてここまで成長した会社。父の会社への想い入れを考えると何となく私から言い出しづらかったのです。税理士さんとの三者面談で「今がタイミングなのでは?」とアドバイスいただきようやく事業承継の準備を進めました」。
そして2016年7月に門脇氏は代表取締役に就任。就任後1~2年をこう振り返る。
「これまでも数年間自分が会社経営している実感があったので、肩書が変わるだけ程度に思っていました。しかし実際に承継すると責任感と重圧がまるで違う。周りの見る目が違いますし、何かあったら全部自分の責任。承継前はいかに責任を気にせず自由に動かせてもらえていたのだなと痛感しました。『自分が社長になったことで順調に来ていた会社の流れも傾くのではないか』と根拠ない不安と心配ばかり頭にありました」。
承継当初は不安の日々を過ごした門脇氏。ただその不安をよそに会社は継続して右肩上がりを継続している。現在に至るまで様々な壁があった筈であるが、会社の成長を支える同社の強みについて伺うと、門脇氏は自信に満ちた表情で次の様に話した。
「繊細な手作業と最適設備を組み合わせた特殊加工が弊社独自の強みです。例えば、アクリルを貼り合わせる際に極小の気泡が出ないようになるには、最新の機械でも難しく熟練の手作業が必要です。また耐久性や見た目の高級感を上げるコーティングにはメーカーと共同開発した世界に弊社しかない設備が活躍しています」。
手作業も機械操作も職人の力が必要になる。製造業というとベテラン職人の集まりというイメージがあるが、同社従業員の平均年齢は現在34歳と若い。会社の継続発展には人財のサイクルを上手く回しながら技術を継承することも極めて重要。ここ数年同社では年2~3名の若者を採用しているという。更に今後は事業の幅をより広げるべく、新たに導入した3Dプリンターを活用した新製品展開も見据えているという。
理念とモチベーション
会社が掲げる理念について伺うと4つの理念を挙げられた。
「誠心誠意対応する」「礼節をわきまえる」「感謝の気持ちを持つ」「不屈の精神」。4つの理念は門脇氏が代表になってから掲げられたものだそうで、年齢様々の従業員が行きかう現場は活気に満ちており張りがあり、理念が全社に浸透していることが伺えた。
これら理念は今回の取材でも門脇氏の人柄がにじみ出ているが、特に「不屈の精神」については昨年同社で発生してしまった火災事件の話が大変印象的であった。
「1年程前に火災を起こしてしまい、近隣住民や取引先に大変なご迷惑をおかけしてしまいました。弊社工場の大半が焼け崩れてしまい、生産力は通常の3割程度まで落ち込んでしまいました。直後は、社屋の復旧をしながら受注をお断りしたり他社様へ出したりと仕事にならない状況。精神的にもかなり疲弊しましたが負けずに“不屈の精神”でモチベーションを上げていきました」。
「復旧して早く皆様に還元できるその時を目指し『もう復旧したの?!』と驚かれるくらい頑張らなければ。意地を持って動き考えました。お蔭様で多くの方々に本当に助けていただき約2か月で通常営業できるようになり現在に至ります。皆様のお力と運が合わさり弊社は生き残れていると思っております。これからも“感謝の気持ち”で経営して参る所存です」。
今後の展望については次の様に話した。
「今の柱であるキャラクターグッズ事業は業界からすれば参入10年足らずの新参者。ですが弊社の製品・技術は確実にお客様から支持をいただき続けている実感があります。今後もより新しい技術を駆使していき業界を引っ張っていく存在になりたいと思います」。
創業から22年を誇る㈲ユー・エスエンジニアリング。その間に目まぐるしく変化した経済情勢にも柔軟に対応し、様々な困難を乗り越えながら成長を続けている同社の今後の発展に益々期待したい。
日本の中小企業の数は357.8万(2016年6月時点。2019年度版中小企業白書より)で、その数は年々減少傾向にある。そんな中、現在も活躍している企業には顧客から支持されている理由、言い換えれば「強み」があるからこそ生き残っている筈である。一方で、これから先は全く同じような営業をしても存続できる保証はない環境にあると言えよう。㈲ユー・エスエンジニアリングは自社のコア技術や他社との繋がりを活かし「強みをより活かした新たな展開」を模索し経営している。同社取材で“変化し続ける経営”の強さを改めて認識した。 |
(取材日2020年3月24日)