CO.HACHIOJI元気な企業インタビュー
第110回 (株)下島愛生堂薬局(下島調剤薬局)
『先祖への恩返しと将来への恩送り』
取材先:株式会社下島愛生堂薬局 代表取締役社長 下島 宏文 様
所在地:東京都八王子市本郷町3-20
業 務:医薬品の調剤・販売、在宅患者向け訪問薬剤管理サービス、管理栄養士による食事・栄養カウンセリングサービス
電 話:042-622-8304
2022年度時点、全国の薬局数はコンビニエンスストアよりも多く存在しているという。
その背景には、昭和後期に加速度的に浸透した「病院での一気通貫」から「病院診察・薬局処方」いわゆる【医薬分業】への移行や、近年のコロナ禍での衛生用品の特需による新規出店など、様々な歴史的な要因が絡んでいる。
そんな中、大正時代から100年余りにもわたり地域の健康を見守り続けている調剤薬局が本郷町に拠点を構える(株)下島愛生堂薬局(下島調剤薬局)だ。
現在の同社代表は2018年に5代目として事業承継をした下島宏文氏。
宏文氏は事業承継の際、養子縁組となり下島に性を変えた。そこには「下島のルーツを守りたい」という強い想いがあった。
一方で、今般の調剤薬局業界は、少子高齢化社会によるニーズ増加と相まって、国の社会保険財源が不足している等、事業継続発展に対して大きな課題に直面している。
今回のCO.HACHIOJIでは
地域の健康を見守り続けるために下島愛生堂薬局が取り組んできたこと、宏文氏が歩んできた道、そして、これからの下島愛生堂薬局をご紹介する。
5代にわたる歴史
下島愛生堂薬局の創業は1920年(大正9年)。宏文氏の曾祖父にあたる下島茂氏が、結婚を機に神奈川県愛甲郡から八王子市へ住まいを移し、実家の生業であった薬店を開いたところから始まった。
当時は国民健康保険制度が施行されておらず、全ての医療費が自己負担の時代。政府が全国民へ一定な品質のある保険医療サービスや医療費補助が平等に提供される、いわゆる国民皆保険が実現したのは1961年。それまで日本の薬店は、生薬や漢方、化粧品や日用雑貨などの販売が主だったそうで、当時の下島愛生堂薬局も同様の商いであったそう。
そこから院外処方(病院で診察を受け、調剤薬局で薬がだされる現在の形)が浸透したのは昭和50年代。国による「医薬分業」の推進とともに調剤薬局が急激に増加したという。
その間、下島愛生堂薬局は4代にわたり事業が引き継がれ2014年12月、宏文氏が事務長として入社。2018年に事業承継し5代目に就任した。
ここで宏文氏の現在までの歩みをご紹介する。
留学・就職・起業
出身は八王子市楢原町。地元小学校から市外の中高一貫の学校に進学。
高校1年生のとき、提携学校との〈交換留学1年間のプログラム〉に立候補して参加。動機は「短気な自分を変えて成長したと思ったから」。英語が話せないまま、単身でニュージーランドへ留学した。
「ホームシックになったのは始めの頃だけで、生活はどんどん楽しくなり帰りたくなくなりました。両親と相談し【卒業後は日本に帰ること】を条件に、日本の高校を自主退学し、ニュージーランドの高校に正式に籍を移しました」
生活の豊かさは、現地の国技であるラグビーとの出会いも大きかったとのこと。宏文氏はリザーブとして残るまで成長し、チームとしては最後の大会では州大会決勝まで勝ち進み、後に日本代表やオールブラックスとなる選手らを相手にしのぎを削った。
部活引退後は、両親との約束通り日本の大学受験勉強へとステージを変えた。
就職活動とラグビー活動を視点に、帰国子女枠もある立命館大学を受験し無事合格した。
ラグビーは海外との考え方等のギャップや体調面にも悩まされ2年生時に退部したものの、大学生活は人との出会いに恵まれたそうである。
「たまたま同級生でビジネスプランコンテスト全国優勝の人がいたりして、ビジネスの勉強に熱が入りました。また、地域のお祭りを企画運営するNPO法人の立ち上げにも携わりました。部活生活では絶対にやれなかったことをやり切り、卒業しました」。
大学卒業後は人材紹介会社へ就職。経営資源(ヒト・モノ・カネ・情報)の中で、軸として最も“ヒト”が一番気になっており「様々な人・仕事から働くことの意義を感じたい」という想いがあったそう。5年間の勤務で人材紹介のスキルを高めていった。
人材紹介会社を退職後は、海外への再チャレンジを期しオーストラリアへ。同業種への就職を視野に入れていたが、最終的には就労ビザのハードルもあり現地起業を決意。これまでの経験を活かし「海外在住の日本人留学生向けオンラインキャリアサポート事業」を個人で開いた。
「学校卒業や就職活動時期が日本と海外では異なるので、日本人留学生は就職に困るという実情を見聞きしました。そこで、前職のスキルと掛け合わせたオンラインサポート事業を行いました」。
当時“ユーチューバー”という言葉がまだ世に浸透していないころ、宏文氏は日本の人事や面接のポイント紹介動画を計100本ほど作成し公開した。
入社して知った薬局業界の見通し
ただ、動画事業は十分な収益化までには至らず、資金繰りは悪化する一方であった。
そんな折、当時の社長の妹にあたる宏文氏の母から「下島愛生堂薬局を手伝ってくれないか」と連絡が入った。
「ちょうど『日本でアルバイトしながらキャリアサポート事業を回したいな』と思っていたので、まさに渡りに船でした。高齢化社会の背景もあり、業界としても右肩上がりだろうし、患者さんも多く来るのだろう。と勝手に思っていました」
資金繰りへの不安軽減に胸をなでおろした気分で入社した宏文氏。
しかしその後間もなくして薬局業界の厳しい市場環境を知ることとなる。
現在の社会保障費の大半は国の財政で賄っている。一方で少子高齢化等により国の財政は年々切迫。更に、医療や年金を必要としている人は年々増加していっている。この見通しを業界のセミナーや現場の声などを通じて理解したという。
「業界は今後縮小していくのだと危機感を覚えました。このままでは限られた人にしか医療を提供できなくなってしまうか、医療の質を落として全員に提供することになるかの2極化に走るのではと。いずれにせよ、ただ漫然に薬を提供するだけでは生き残っていけないと感じました」。
また、自社でバックオフィス全般を行う中で、社内管理の不透明さも感じるように。都度、必要なことを自分で見つけては社内外の人に聞いて回ることの繰り返しだったそう。
薬局業界の現状や自社の体制に危機感を覚え、当初描いていた個人事業との2足の草鞋では共倒れしてしまうと感じた宏文氏。「自分の事業はいつでもできる」と薬局の仕事1本に専念したのが2016年ごろであった。
そのころ「事業承継」ということも頭に浮かぶようになる。きっかけは祖父の存在だった。
薬局を守る覚悟
入社時から同社3代目である祖父の介護をしており、よく戦争の話を聞いていたという。
「祖父はケガのため戦争に行かなかったそうです。一方で、友人は戦争に行ったまま帰ってこなかった。そういった話を聞いて『自分が海外に行って勉強や仕事ができたのも、日本で不自由なく生活できているのも、戦争で多くの人が壁となり、その後日本を振興してきたからこそであり、先祖であり祖父がいて、薬局があるからだ。この薬局を守っていかなければ』という想いになりました」。
「自分はこの日本・地域・会社に対して何ができるか。自分が下島愛生堂薬局を続けていくことが先祖代々に対しての恩返しでもあり、将来の地域に住まう方に対しての恩送りでもあると覚悟が決まりました」。
事業承継への強い覚悟はやがて“養子縁組”への決意に至った。
「養子縁組を株式移行のスキームとして捉えていたわけではないです。第三者としての承継も可能でありますし。しかし私としては、自分の覚悟として下島家の家督を継ぐことが株式移行以上に重要であると、そこは論理というよりは感情的な思考で行動しました」
事業承継を機に下島姓へ変えていくと決めた理由には【ルーツを守りたい】その一心にあった。実の両親や親族、会社の顧問先との相談を重ね最終的には快諾され、苗字を変更した。こうして5代目として下島宏文氏が就任した。
私心から利他の心へ
強い想いで就任した5代目であったが、経営はすぐさま順調とはならなかった。
「ワンマン社長というかパワープレイで何とかしようとする、いわゆるゴッドファーザー的なマネジメントに傾倒していました」
当時は宏文氏が一番年少で従業員の平均年齢は50代。経営スタンスが合わず退職者は増えていった。また、やる気ある同世代が入社してもコミュニケーションが嚙み合わず退職。社内の雰囲気は悪化の一途を辿っていった。
その時期に出会ったのが、当会主催の後継者育成事業「はちおうじ未来塾」であった。
「未来塾では“自分と向き合うこと”に重きを置いて臨みました。段々と考え方やマネジメントの仕方も変わり、ボトムアップ型に近いように権限移譲したり任せたりのスタンスに挑戦するようになりました。うまくいかないことも多いですが、その頃から組織の状態も自分の精神面も落ち着いてきました」。
「以前は、目立ちたい・影響力を与えたいなどの“私心”があったと思います。それが、スタッフが離れていった原因の1つだったと今ならわかります。色んな人の考え方を勉強し“利他の心”社会のため・自分以外のために尽くすことをしていかなければいけない。利他の心で見返りを求めず、私心を捨てて尽くしていくこと。これは今もことあるたびに自分に言い聞かせています」
承継当初は経営を「仕組みを構築する」だけで会社や組織を回せると思っていた宏文氏。しかしその仕組みを動かしているのは人の心。仕事ゆえ「やってもらわなければならない」業務もある一方で同時に人間ゆえ「やりたくない」「できない」と社員が感じている場面も往々にして出くわす。
それを認めたうえで、いかにして方向性を示し、モチベーションを高め、環境を整えて主体的に動いてもらえるよう行動することが経営者の仕事ということを、日々の業務や周りの人々、本、未来塾などを通じて考え方が変わったそうである。
時流に合わせたサービス提供と未来を見据えた挑戦
前述の通り、薬局業界の将来は厳しい市場環境にある。その中で、下島愛生堂薬局では様々なことに取り組んでいる。
ここでご紹介するのは「患者さんの待ち時間短縮・負担軽減」への取組。
ひとつには、かかりつけ薬局アプリ「kakari」を導入し、処方箋の事前送付による薬のモバイルオーダーを可能とした。業界内では「登録者数は100人位いけば良い方」と言われている中、店舗である下島調剤薬局のアプリ登録者数は現在およそ5,000人だという。
加えて、自宅や職場まで届ける「薬の当日配送サービス」も試験運用していた。このサービスは前述の“はちおうじ未来塾”で繋がった市内配送業者と連携し実施。薬局に寄る時間が無い顧客層にニーズがあるという。今後もニーズに合わせて展開していきたいと考えている。
更に、現在計画中なのが、薬局の中でオンライン処方するという方法。法律関係を各所に確認しながらであるが、実施ができれば恐らく日本初の取組になるであろうとのこと。
「コロナ禍でオンライン上での診察と薬の提供が完結する仕組みというものは世に広まっています。しかしながら、その仕組みだけでは高齢者が付いていけていない実情もあります」
新型コロナウイルスはまだ完全には収まっていない中、感染リスクの高い高齢者がオンライン診療を使えていない傾向にある点に課題感を抱いたことがアイデアの起点だったと宏文氏は話す。
「ご自宅でのオンライン操作に不安を覚える方、病院-薬局間の移動に負担を感じている方に向けた薬局内でのオンライン診療です。薬局スタッフがオンライン操作をサポートし、診療を受け、希望に応じて薬もその場で提供できます。現在浸透しているオンライン診療の片手落ちスタイルではありますが、メリットは大いにあると感じています」
法律関係などの絡みで経産省や厚労省などと協議中とのことであるが、この仕組みが実現できれば、人々の健康を支える地域かかりつけ薬局としての存在感が更に増すことであろう。
目指す姿と約束事
同社の企業理念は【「健康」という価値を提供する】ビジョンは【よろず相談所】。
これらへの想いにも話を伺った。
「私たちは、地域の人々の健康を、創業者が八王子の地に降りた大正から令和へと時代が移り変わっても、変わらず見守り続けています。その時代が移り行く間“健康”の定義は変われど“健康でいたい”という人類の願いは不変です。その価値を提供し続けることが創業したルーツであり、これからも守り目指すべきところです」。
「今の私たちが現代でそれを実現するにあたり必要なことは“なんでも相談できる場所”だと考えています。“自分らしく生活する”ことを支える薬局として、病気・介護・生活・家族・地域のことなんでも相談できる、地域住民に寄り添う薬局を目指しています」。
健康という価値の提供は様々な視点・方法が考えられるという。
薬の視点ではなく、例えば患者さんの悩みを聞いたり、食生活やライフスタイルの改善を提案したりする等。下島愛生堂薬局にはそれらに対応できる薬剤師・管理栄養士をはじめ知識・経験豊富なスタッフが在籍している。
「『あそこに行ったら薬を貰わずに健康になれた』と言われる場所となれたら」と宏文氏は未来の薬局像を描いている。
“なんでも相談できる場所”になるためには、下島愛生堂薬局の想いと取組を地域の方々に知ってもらうことが肝心。薬局内やHPには、下島愛生堂薬局としての「マニフェスト(約束事)」を掲示している。当時の経営顧問のアドバイスを受けながら、スタッフと意見を交わし、今取り組んでいること・これから取り組むことを可視化したもので、現場からの意見が一番多く盛り込まれた内容になったという。
「私たちの日々の仕事とその先にある約束事を見える化することで、皆様から応援してもらえる薬局になりたいという全員の想いが込められています」。
承継当時から宏文氏が大切にしている薬局への想いは、様々な経営の苦楽を経てスタッフに浸透し、全社一丸となって企業理念へと向かっている。この先も下島愛生堂薬局は、先祖代々への恩返しと未来への恩送りを胸に、地域の健康を見守り続けていく。
宏文氏から伺った学生時代に経験した留学や、屈曲な面々の中に飛び込んだラグビーへの世界、海外で興した事業等。これらから筆者は「並々ならぬ挑戦心を備えた方」という印象を受けた。また、事業承継のきっかけとなった“ルーツ”からは「過去・現在への感謝」を強く考えさせられた。
社会を豊かにしていくために、様々な事業所そして私たちは仕事をしているが、そもそも「なぜ事業が、私たちが存在しているのか?」を己に問う機会となった今回の取材であった。
その答えは簡単には出ないかもしれないが、ルーツを大切にしながら未来への挑戦をし続けている下島愛生堂薬局のような事業所を1社でも多く応援し、地域を盛り上げていくことが1つにあるであろう。宏文氏と筆者は同い年である。今を生きる同世代として、一緒になって地域への恩返しと恩送りに貢献していきたい。
(取材日 2024年10月2日)